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11月11日の日記
2021年11月11日ツイッターに書こうとして結局下書きのままでやめたような、どうでもいい内容の羅列を新旧まとめて吐き出す回
全然ゲームやらなくなってしまった。
ソシャゲは時間だけ無限に使ってしまうからやめたし、コンシューマーゲームも年のせいかあんまり続けてできなくて、細切れにやると話やゲーム内マップを忘れてしまい効率が悪い。
その分時間の余裕ができてるはずなんだけど、特にそんな気もしない。
「ホントはやなこと、マジでやめてみた」という本を読んだ。
日頃、いかに無駄な思い込みによって勝手にストレスを感じているかがわかった。対策は思い込みを改めるだけ。家に人を呼ぶときには隅々まできれいにしておかないと駄目なやつだと思われる、とか。
ただ「元カレの趣味だったテーブルトークRPG」をバカにしている(魔法使いになりきって森の中でモンスターと戦うのかと思っていたら、男ばかりでテーブルを囲みルールブック2冊と首っ引きでサイコロの出目だけコマを動かすようなものだったと書いてある)。
変弦自在バージョンの「バンディリア旅行団」もしくは「Caravan」を出棺の時にかけてほしいけど、それにふさわしい生き方をしないといけないなとも思う。死ぬ間際に聴力だけは最後まで残ってるって言うから病室に「HUMAN-LE」をかけてほしいし、手術室に向かうときのBGMもかけられるなら「AUROLA」をお願いしたい。
「はてしない物語」でバスチアンがスメーグの城の構造や唯一の倒し方について作り話をするところ、設定だけ用意してPLサイドに解決方法をゆだねるタイプのゲームマスターなんだよな。
夏の終わりの曲と言えばやはり「若者のすべて」と「シーグラス」が有名ですが(そうでもないか)、唐突に40年くらい昔の名曲が降ってきました。それでは聞いてください。Don Henleyで「The Boys Of Summer」!
火曜から日曜まで一度も家の外に出なかった。仕事が忙しい時期はどこにも行かず誰とも話さないこともあるので、そんな心持ちでやれてる。食材のまとめ買いにも慣れてきた。
中学の同級生に当時から非常に人柄のすぐれた人がいたんだけど、今感染症のお医者さんになって最前線で働いているらしく、今後会うこともないだろうその人のために、せめて自分はひきこもるしかない。
中止された夏フェスの代わりにYoutubeで過去映像を流しているのを見る。
無料だからコメント欄に「(今映っているアーティストに)こいつ誰?」「(自分の好きなアーティスト名)はまだですか?」みたいのがたくさん沸くけど、アジカンの時に「ワンオク待ちだけど、この人たちはなかなか……拍手ものですね」みたいなコメントがいて、上から目線にじわじわくる。
ゲームを扱ったSFが好きな傾向にあるので「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」は面白かった(文章はくどいけど……)。未来のレトロゲームたち、けっこうありそうだしやってみたい。AIは生きてるかとか、死んだ人の脳データをAIに移したらそれは別人なのかとか、そういうテーマが通底されてるのも好き。
スポーツのジャンルだと「負けて泣き崩れる選手」の写真ってけっこうよくあるし、望遠じゃなくかなり近くで撮ってそうなのも見かけるんだけど、選手と心理的な距離を置いたプロなら撮れるのかな、逆に密着して近いほうが撮れるのかな。どういう感じならカメラ向けられるんだろう。全然わからない。
D&Dはマジックアイテムの由来とかを決めると物語になるのもいい。「持ち主が他のマジックアイテムを使うことを許さない」短剣をバードが持ってたんだけど、そのバードしか使えない魔法の杖を入手したため短剣を手放し、杖の由来をダイスで決めたら同じ能力になり、バードが「メンヘラ製造機」と呼ばれた。
#自分を作り上げたゲーム四選
ゲームブックのソーサリー
D&D3.5版
東新宿アジトこけら落としのリアル脱出ゲーム「とある部屋からの脱出」の初回公演
マジックは“作り上げた”というより常につかず離れず並走している感じなので入れるかどうか微妙なところ
●復活の日
小松左京「復活の日」を読んだ。
ウイルスで世界が滅亡して南極にいた人間だけが生き残るストーリーで、いくつかの作品とともにコロナ禍の今話題になっている。
「たかがインフルエンザ」と人々がたかをくくって油断しているうちに大変な事態になっていたり、医療崩壊していたりする描写は今と近いところがあり、背筋のうすら寒くなる実感を持って迫ってくる。
ただし、そもそもウイルスの性質が大きく違う。大ざっぱに言うとインフルエンザのような見た目の中に心筋梗塞を起こす病原体が隠れていて見つからないという感じの特殊なウイルスなので、対応などもずいぶん誓う。
また、これが細菌兵器として開発されたという設定は、核兵器は使われなくなっても戦争は終わらないし、政治が終わらせないという1964年の時代性を感じる。
そのほか時代性を感じるのは、病院に近所の主婦が炊き出しをしたり、みんなが戦争を色濃く覚えていること。
みんなマスクもせずに普通に電車に乗ってるし、このインフルは妙に死亡率が高いとわかってるのにウイルスを防ごうとは全然していないのが違和感。
あとネットがないからか、新聞やテレビに対する謎の信頼感がある。最後に世界をつなぐのはアマチュア無線なんだけど、今だったら世界の断末魔を伝えるのは代わりにスマホからの生配信になるんだろうな。
小松左京の癖だと思うけど日本は最高、美しい国万歳的なところがあるので、日本にいる外国人は全然出てこないし日本人は戦時中みたいに滅私奉公の精神みたいになってる感がちょっとある。
「若者が外出してウイルスを広めて回ってる」「いや年寄りのマスク買い占めのほうがひどい」「日本の政治はダメだ、海外を見習え」「国内の外国人には一律支給をするな」……その他もろもろの世代や人種の分断は現代ならではなのかなと思う。
オチは「そんなことある?」という都合のよさだが、「人間は愚かだがやっぱり素晴らしい、歴史に学んで賢くなろう」というのがテーマなのかなと思った。
全然ゲームやらなくなってしまった。
ソシャゲは時間だけ無限に使ってしまうからやめたし、コンシューマーゲームも年のせいかあんまり続けてできなくて、細切れにやると話やゲーム内マップを忘れてしまい効率が悪い。
その分時間の余裕ができてるはずなんだけど、特にそんな気もしない。
「ホントはやなこと、マジでやめてみた」という本を読んだ。
日頃、いかに無駄な思い込みによって勝手にストレスを感じているかがわかった。対策は思い込みを改めるだけ。家に人を呼ぶときには隅々まできれいにしておかないと駄目なやつだと思われる、とか。
ただ「元カレの趣味だったテーブルトークRPG」をバカにしている(魔法使いになりきって森の中でモンスターと戦うのかと思っていたら、男ばかりでテーブルを囲みルールブック2冊と首っ引きでサイコロの出目だけコマを動かすようなものだったと書いてある)。
変弦自在バージョンの「バンディリア旅行団」もしくは「Caravan」を出棺の時にかけてほしいけど、それにふさわしい生き方をしないといけないなとも思う。死ぬ間際に聴力だけは最後まで残ってるって言うから病室に「HUMAN-LE」をかけてほしいし、手術室に向かうときのBGMもかけられるなら「AUROLA」をお願いしたい。
「はてしない物語」でバスチアンがスメーグの城の構造や唯一の倒し方について作り話をするところ、設定だけ用意してPLサイドに解決方法をゆだねるタイプのゲームマスターなんだよな。
夏の終わりの曲と言えばやはり「若者のすべて」と「シーグラス」が有名ですが(そうでもないか)、唐突に40年くらい昔の名曲が降ってきました。それでは聞いてください。Don Henleyで「The Boys Of Summer」!
火曜から日曜まで一度も家の外に出なかった。仕事が忙しい時期はどこにも行かず誰とも話さないこともあるので、そんな心持ちでやれてる。食材のまとめ買いにも慣れてきた。
中学の同級生に当時から非常に人柄のすぐれた人がいたんだけど、今感染症のお医者さんになって最前線で働いているらしく、今後会うこともないだろうその人のために、せめて自分はひきこもるしかない。
中止された夏フェスの代わりにYoutubeで過去映像を流しているのを見る。
無料だからコメント欄に「(今映っているアーティストに)こいつ誰?」「(自分の好きなアーティスト名)はまだですか?」みたいのがたくさん沸くけど、アジカンの時に「ワンオク待ちだけど、この人たちはなかなか……拍手ものですね」みたいなコメントがいて、上から目線にじわじわくる。
ゲームを扱ったSFが好きな傾向にあるので「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」は面白かった(文章はくどいけど……)。未来のレトロゲームたち、けっこうありそうだしやってみたい。AIは生きてるかとか、死んだ人の脳データをAIに移したらそれは別人なのかとか、そういうテーマが通底されてるのも好き。
スポーツのジャンルだと「負けて泣き崩れる選手」の写真ってけっこうよくあるし、望遠じゃなくかなり近くで撮ってそうなのも見かけるんだけど、選手と心理的な距離を置いたプロなら撮れるのかな、逆に密着して近いほうが撮れるのかな。どういう感じならカメラ向けられるんだろう。全然わからない。
D&Dはマジックアイテムの由来とかを決めると物語になるのもいい。「持ち主が他のマジックアイテムを使うことを許さない」短剣をバードが持ってたんだけど、そのバードしか使えない魔法の杖を入手したため短剣を手放し、杖の由来をダイスで決めたら同じ能力になり、バードが「メンヘラ製造機」と呼ばれた。
#自分を作り上げたゲーム四選
ゲームブックのソーサリー
D&D3.5版
東新宿アジトこけら落としのリアル脱出ゲーム「とある部屋からの脱出」の初回公演
マジックは“作り上げた”というより常につかず離れず並走している感じなので入れるかどうか微妙なところ
●復活の日
小松左京「復活の日」を読んだ。
ウイルスで世界が滅亡して南極にいた人間だけが生き残るストーリーで、いくつかの作品とともにコロナ禍の今話題になっている。
「たかがインフルエンザ」と人々がたかをくくって油断しているうちに大変な事態になっていたり、医療崩壊していたりする描写は今と近いところがあり、背筋のうすら寒くなる実感を持って迫ってくる。
ただし、そもそもウイルスの性質が大きく違う。大ざっぱに言うとインフルエンザのような見た目の中に心筋梗塞を起こす病原体が隠れていて見つからないという感じの特殊なウイルスなので、対応などもずいぶん誓う。
また、これが細菌兵器として開発されたという設定は、核兵器は使われなくなっても戦争は終わらないし、政治が終わらせないという1964年の時代性を感じる。
そのほか時代性を感じるのは、病院に近所の主婦が炊き出しをしたり、みんなが戦争を色濃く覚えていること。
みんなマスクもせずに普通に電車に乗ってるし、このインフルは妙に死亡率が高いとわかってるのにウイルスを防ごうとは全然していないのが違和感。
あとネットがないからか、新聞やテレビに対する謎の信頼感がある。最後に世界をつなぐのはアマチュア無線なんだけど、今だったら世界の断末魔を伝えるのは代わりにスマホからの生配信になるんだろうな。
小松左京の癖だと思うけど日本は最高、美しい国万歳的なところがあるので、日本にいる外国人は全然出てこないし日本人は戦時中みたいに滅私奉公の精神みたいになってる感がちょっとある。
「若者が外出してウイルスを広めて回ってる」「いや年寄りのマスク買い占めのほうがひどい」「日本の政治はダメだ、海外を見習え」「国内の外国人には一律支給をするな」……その他もろもろの世代や人種の分断は現代ならではなのかなと思う。
オチは「そんなことある?」という都合のよさだが、「人間は愚かだがやっぱり素晴らしい、歴史に学んで賢くなろう」というのがテーマなのかなと思った。
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